第3回目を迎える富士の山ビエンナーレ2018のテーマは「スルガノミライ」。本芸術祭のキュレーションを行う小澤慶介氏と、芸術祭立ち上げの中心人物で、地元経済界で活躍中の実行委員長の谷津倉龍三氏の対談を、芸術祭会場の一つである、国登録有形文化財の旧五十嵐歯科医院にて行いました。その対談から、「スルガのミライ」に対して彼らが今、感じていることを2回に渡って紹介して行きます。#私の考えるスルガノミライ

(静岡県文化プログラム 佐野直哉)

キュレーションコンセプトが「スルガノミライ」に至った経緯について

小澤:

僕のなかでは2つの流れがあって、1つは前回2016年の開催前に谷津倉さんにこの地域の使われていない建物とか歴史的な建造物を見せてもらった際、この土地の成り立ちを知ったんです。そうした街の時間的な蓄積をテーマにしたのが、前回「フジヤマ・タイムマシン」で、アーティストたちはこの地域の過去を掘り起こして作品化しました。なので、今回は、未来に向いたということがあります。

もう1つは、この十年くらい、高度な産業化が進んだ現代のさまざまな問題に向き合うとき、「人新世」を巡るさまざまな議論が起こっているということに関心を寄せたんです。1995年にノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンは、人間が産業革命を起こして生態系を作り変えてしまったこの200年ぐらいを、地質学的な時代の枠組みとしてそう呼ぶんです。確かに、こんなに炭素が増えた時代は今までにない。実際、オゾン層は破壊されているし、気候の変動や自然環境の変化も感じ取れるようになってきています。こうした議論は1960年代からありますが、その議論に乗りつつ、「今」を考えるのでなくて「未来」に向いて、100年や1000年の時を経たときに、この地がどうなっているのかを考えるのはどうかと思ったんです。これは正解が無いのでさまざまな答えが出てくる。それらを芸術を通してみんなに見てもらうのはどうだろうかと。

谷津倉:

2016年から小澤さんにキュレーションを依頼している中で、私たちが生活しているこの地をより知ってほしい、と考えていたし、地形や富士川の特性や、歴史を小澤さんに汲み取っていただけたと思います。私たちの生活圏の中で芸術祭を始めましたけど、関わっている人たちがこれからどういうように動いてくれるのかなあ、1回目の芸術祭も良かったんですけど、2回目からは改めて展開の仕方を考えないといけないかなあ、と思っていたところで。小澤さんもそこを絞り込んで冷静に見てくれたのではないかと思います。未来の捉え方が作品からどう伝わってくるのかとても興味深いですね。

小澤:

僕は割とテーマから展覧会を考えはじめるキュレーターだと思います。ただ、今回難しいと思ったのは、ふだんこの地域に住んでいないアーティストがどれほどこの地の未来を想像できるかということです。正解は無いと言いつつも、迷うアーティストもいると思ったので、「ミライ」、それこそ10日後でも10年後でも100年後でもいいですよ、という形で投げかけて幅を持たせています。だけど「未来」は「今」が起点となるので、今の状況を読み解かないと考えられない。ということは「今」と「未来」の「間」をアーティストは作品を通して見せていくのではないかと思います。

富士という地域

小澤:

谷津倉さんをはじめこの地域に住む人たちからよく聞くのは、流出人口が多く、若者がみんな東京に出ていってしまうということです。100年後はこの地域はどうなっているのだろうかと考えさせられます。それに加えて最近は地震が多いですよね。100年200年の周期で見ると、ここは今のままありつづけるのかと思わざるをえない。その一方で、富士山があるからか、このごろ外国からくるバックパッカーをよく見かけますよね。こうしたことが続いていくと、やがては世界中の人々が集まって多国籍の街になるという可能性もある。

いろんな文化が混ざり合うことによって、若い人の流出を止めることができたりするかもしれないけれども、舵取りによっては外国の人たちが溢れてコミュニティのあり方が変わってゆくでしょうね。流入人口や観光客が増えると、もしかしたら十本に一本くらい新幹線の「のぞみ」が新富士駅に止まるようになるかもしれない(笑)。要はそういう気づきや兆しがたくさんある。今の日常が普通じゃなくなるかもという感覚を呼び起こすことができればと思います。

スルガで芸術祭をやる面白さとは?

小澤:

人口流出や過疎化は何もこの地域に限らないですし、こういうコンセプトは他の土地でも多分できるでしょう。ここで芸術祭をやる理由があるとすれば、その一つには市民主導であることがあり、僕はそこに面白さを感じています。危うい未来をポジティブなイメージで描けないかもしれないとき、市民主導だから自由に議論できるのではないでしょうか。芸術祭は、市民が客観的にこの地域を眺めるきっかけになると考えています。僕が関わりはじめた2回目からは、地域が抱えてきた問題をそっと市民に知らせたりしました。いっぽうで、芸術祭って地域社会が抱えている課題を隠すこともあります。つまり打ち上げ花火をドーンと打ち上げて、みんなが上を向いている間に地域ではよからぬことが起こっているという。こうした芸術祭の両極性を意識しながらも、やはり前者をとおして地域社会の可能性を求めるならば、市民主導のフレームがふさわしいような気がしています。

谷津倉:

確かに前回そういうことを垣間見れた作品がいくつかありました。こんな課題を扱っちゃっていいの?と思いましたね。そういう部分って時が経って忘れている部分もあるけど、今になって2年前を思い出して話題になることもあったりします。例えば「富士503」という作品は富士での公害を扱ったナマイザワクリスさんの作品。今、振り返ると時間が経っても作品からの影響って自分にしっかりと残っているんだな、と思いました。

小澤:

アートは社会反対運動ではないので、「反対!」と声高に叫ぶのではなく、ユーモアを含んでそっと知らせる感じが出せる。それで、気づく人は「富士ってもともと公害があったんだ」と過去を知るわけです。

なぜ芸術祭を始めたのか

谷津倉:

この富士は自分の生活エリアでもあるし、仕事の場でもあるし、よく熟知している場所です。でも私自身、芸術やアートに対しては、自分が時々美術館に行ったり、どこか訪れたときにひょこっと立ち寄るぐらいです。それが新潟の越後妻有の大地の芸術祭で衝撃を受けたんですよ。箱物の中でやっていない、こういう展示もあるんだ、ということがわかって衝撃的だった。それを見て回っていると時間が経つのを忘れました。作品の魅力はもちろんですが、それ以上に関わっている周りの人たち、サポートの人たちの魅力を強く感じました。

東海道ベルト地帯で主要な幹線が通っている高速の時代、もはや富士に立ち止まることもなくなりました。立ち止まるどころか交通の便が良いだけに人口が流出していく。でも旧五十嵐歯科医院のような趣のある建物も多少残っているので、こういうところに作品を入れ込むと、ミスマッチのように受け止められたこともあったんですけど、今までにないものがここで見ることができて、それに伴って大勢の人たちが出入りするようになりました。その変化を受け取ってくれる人たちも増えてきたんですよ。だから継続すると、地域がどういうように変わっていくのかな、って思います。もともと地域が変わる、という点では、私が住んでいる旧富士川町が富士市と合併があったわけです。それ以前には由比・蒲原・富士川町が属する庵原郡があって、庵原郡が一つの町として機能するイベントを青年会議所のときにやってきたのに、平成大合併で、富士川町は富士市になり、蒲原町と由比町は静岡市になってしまった。そんな流れの中で、大地の芸術祭を観に行っていた頃が50歳代だったけど、還暦近くなって、今やらないと気力がなくなるんじゃないか、と思って周りの人にお声がけしながら始めたんです。そのときやっていなかったら今この芸術祭はなかったかもしれません。

3回目を迎えての変化

谷津倉:

私自身はそういう思いでやってきたけど、関わってくれた人たちは、1回目はゼロからの大変さがあったわけで、しかも芸術やアートを知っている人は本当に数少ないし、ほとんどは仕事をしながら集まっていただいた人たちなので、日常の生活をする中、これだけの規模でやるってのは、正直言ってこんなに手広くやる必要はないだろうとも言われました。予算の面や行政との関わりなどの心配を抱えていたのは事実です。でもそういうのを乗り越えて今に至って、マインドも変わったし、財産にもなっている。自分たちで組み立てていく、事業を起こすことに対して積極性が生まれたと思いますし、他の実行委員もそういうように感じてくれていると思います。

小澤:

ただ民間、それも芸術祭をそれまでに作った経験のない人たちと作り上げることの難しさって、ふだん僕がやっている仕事のペースで物事が進まないことなんです。でもこれは、東京と地方あるいはプロフェッショナルとアマチュアのやり方のどちらがよりよいのか、その時の判断基準はどのようなものなのかが気になります。東京でプロフェッショナルとしてやっている僕が、富士市や静岡市のアマチュアの人たちに芸術祭の一般的な作り方を単純に押しつけていいのだろうか、とはいえ、地域の人たちだけで活動していると芸術祭としての質と認知度が上がっていかない、今回はそんな迷いを強くしています。前回は自分もこの芸術祭が初めてだったので、慣れた普段のスピードでやってはみたのですが、そうするとどうにもうまく事が進まないし、やろうと思えば思うほど苦しくなる。芸術祭制作というと、ポスターチラシが開催2ヶ月前にはできていて、サポーターも集まっていて、という、いわゆる新潟県の大地の芸術祭をモデルにしたやり方が一つの基準となっているように見えますが、そのモデルはこの地域ではできないかもしれません。他のやり方があるのではないかと思うのですが、そうなると単年度でどうなるというものでもないような気がします。もっと5年とかそれ以上の月日をかけて作ってゆくようなものがよいのはわかりませんが。

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